「いつか死ぬ」を前提に生きる―ひすいこたろう著『あした死ぬかもよ?』を読んで

感想

皆さんこんにちは!

今回はひすいこたろうさんの代表作『あした死ぬかもよ? 人生最後の日に笑って死ねる27の質問』を取り上げます。

「明日死ぬとしたら、今日あなたは何をしますか?」

そんな問いにドキッとするかもしれません。表題の通り、本作は死をテーマにしたものです。

しかし、その内容は前向きなエネルギーをくれます。

死を意識することで、今ここの生き方を問い直そうという試みになっています。

加えて、本書の文章には力が感じられます。それは、ひすいこたろうさんが言葉で心を灯そうと試みてきたからこそ。蓄積された熱量が込められているからです。

心に刺さるエピソードがちりばめられ、楽しめる内容になっています。

読んで心に残った言葉を中心に感想をまとめました。

それではお楽しみください!

生を完全燃焼させるスイッチ

かつてサムライたちが、あれだけ潔く、情熱的に生きられたのは、「自分はいつか死ぬ身である」という事実から目をそらさずに、「この命を何に使おうか」と、日々心を練っていたからです。死をやみくもに恐れるのではなく、サムライたちのように、死を、ちゃんと「活用」しませんか?死は、生を完全燃焼させるための、最高の「スイッチ」にできるんです。

p5

歴史から材を取る作品はとても人気です。

激動の時を生きた個人の強さ。

そういうものに心を惹かれることが多い。

フィクションであっても、その志や熱さのようなものは僕たちの心をとらえます。

彼らのように、命の使い方を考えることができるのでしょうか。

冒頭から、そのためのスイッチが明らかにされます。

死を意識することで、自分の時間の使い方が変わる。

たとえば「この仕事、本当に自分がやりたいことか?」と自問するようになったり、何気ない一日を丁寧に過ごそうと思えるようになります。

人によっては説教くさく、つまらない話かもしれません。

でも、目をそらしたら、きっと後悔する。いつか死ぬのは確実だから。

ついつい流されていく日常の中で、ひすいさんによる強い言葉の力にひきつけられます。

あなたは、ずっと「無」だったんです。宇宙が生まれて137億年間も、喜ぶこともできない。怒ることもできない。哀しむこともできない。楽しむこともできない。そんなに気が遠くなる間、あなたは、ずっと、ずっと「無」だったんです。しかし、あなたの両親が奇跡を起こして、あなたは「オギャー」とこの世に遊びに来れた。そのおかげで、喜ぶことができる。怒ることができる。哀しむことだってできる。楽しむこともできる。これが、どんだけすごいことか、あなたはわかっているだろうか?あなたは、あなたの存在に涙を流して喜ぶに値する。死ぬことだって、生まれた人だけが体験できる特典です。怒れる。悩める。不安になれる。これも、生きているからこそのボーナス特典です。

p177

宇宙の長大な時間と、広大な空間。

それに比べたら、人間の、人類の存在はなんと刹那的でしょうか。

しかし、刹那的であるからこその価値を見出していこうという姿勢が鮮烈です。

ネガティブなことも引き受ける覚悟を決めて、人生を味わい尽くすことが醍醐味だと思うことができます。

無の意識から、生きることすべての肯定になる。

大きな転換になりえる力がある文章です。

退屈か大変、どちらを選びたいか

思い通りにいったら、人は退屈するだけです。ゲームの1面ばかりやっているようなものだから。生きるって大変ですか?大変に決まってるじゃないですか。大変だからこそ、面白いんです。大変だからこそ、人は「大」きく「変」わることができるんです。

p37

ただ生きているだけで、いろいろと面倒なことが生じます。

疲れたり、尻込みしたくなるのは当たり前です。でも本当に背を向けてしまったら退屈な時間が待っています。

終わりなく続く日常も、それはまた、辛かったりします。

もちろん。立ち止まる時間が必要な時だってあります。そういう時はしっかり休みましょう。

でも、退屈しながら過ごすには人生は長すぎる、とも思うんです。

だから、一度きりの限られた人生。こう問うてみることは大切だと思います。「自分にとって、理想の人生とはなんだろう?」どうでしょうか?わくわくできる人生を描くことができたら、人はそこに自然に向かいたくなります。だから人生はとてもシンプルになります。

p70

これを読んだとき、僕はびっくりしました。

わくわくできる人生は、とてもシンプルになる…。

頭の中でぐるぐると考えてしまうのは、自分の理想が明確になっていないからだということです。

単純なことで、驚きとともに納得もしました。

迷ったら、考えてみたいと思います。

僕にとってのわくわくはなんだろう?

何をするかよりホンキでやっているかどうか

実は人生では、なにをしているかって、そんなに重要じゃないんです。それよりも「ホンキでやってるかどうか」。そこが問われるんです。

p102

何をしているかが気になるのは、世間体を気にしているからだと思います。

「収入につながるか」だったり、「いいねがもらえるか」だったり。そういう他人重視のものさしで測ってしまうから。

そういうことも大切ではあるけれど、それ以上に夢中になれることこそ忘れたくないものです。

「何をすべきか」から離れて「まずはこれから始めよう」と思えること。これが実際の行動も変えるきっかけになってくれそうです。

人生を冒険として生きるとは、なにも、大きなことを成し遂げろ、ということではないのです。マザーテレサのこの言葉にある通りです。「わたしたちは大きなことはできません。ただ、小さなことを大きな愛でするだけです」冒険とは、世間体で生きるのではなく、他人の目のなかで生きることではなく、自分のホントのキモチで生きることです。それがホンキで生きるということ、自分らしく生きるということです。

p171

マザーテレサの言葉を引きつつ、背中を押してくれます。

「小さなことを大きな愛でする」

別に偉業を成そうとして大きなストレスを背負い込む必要もないということです。

そう思うと勇気が湧いてきます。

おわり

本著は今回紹介した以上に多くのエピソードが紹介されています。読んでみれば琴線に触れるものを見つけることができると思います。

そのまま、自身の身にも熱意を宿すことができる。

「また、ちょっとがんばってみよう!」と思える。

かもしれません。

僕は楽しく読まさせていただきました。皆さんもぜひ!

それでは、お読みいただきありがとうございました!

書誌情報

ひすいこたろう『あした死ぬかもよ? 人生最後の日に笑って死ねる27の質問』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2012年、キンドル版

コメント

タイトルとURLをコピーしました