【漫画感想】『チ。-地球の運動について-』のあらすじと考察 ― 転回する人生論について

マンガ

皆さんこんにちは!

今回は魚豊さんの『チ。-地球の運動について-』について紹介と感想を書いています。

本作は「地動説」と「地動説を弾圧する宗教」を題材にした漫画です。

地動説が結実するまでにあったかもしれない、細い糸のような命のリレーの物語。そして「人が命を懸けるほどの想いとは何か」を描いています。

全8巻で完結しているため手に取りやすいですが、内容はとても濃いです。作画は少し粗削り。それでも、ストーリーの構成や、登場人物の心情・哲学をじっくり追っていくのが好きな方にはおすすめです。対話篇形式で緊迫感のある場面がたくさん出てきます!

それではお楽しみください!

作品情報

魚豊さんによる青年漫画。小学館『ビッグコミックスピリッツ』で連載されていました。全8巻で完結済みです。第26回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞。マッドハウスによってアニメ制作も決定されています。(2024年10月から放送開始)

あらすじ

秩序が失われ、混乱と暴力が蔓延った時代。唯一の希望の光となったのがC教です。そのあまねく光は人々に文化と道徳を授けました。そしてC教は宗教として巨大な権威を得ていくことになります。

時は流れ物語の舞台は15世紀前半のP王国。人々の生活の規範となっていたのはC教でした。聖書に書かれた教えこそ正しく、この教えに反する考えは異端として弾圧されます。一方で街の裏路地には貧民がうなだれています。富める者と貧しい者が存在し、少しずつ矛盾が生じている。そんな世界。

そして本作は、地動説に魅入られ危険を顧みず研究をつづけた人々と、それを弾圧してきた異端審問官の物語となります。

C教の権威によると、宇宙の中心は地球です。いわゆる天動説。これが正しい世界の在り方でした。一方で、地動説は太陽が中心。現代の僕たちが知っている宇宙の形です。C教の権威からすれば異端。捕まれば拷問の末、火あぶりの刑になってしまうでしょう。しかし、地動説の美しさに魅入られた研究者は、成果を後代に託しつつ、真理を追い求めます。

テーマ

受け継がれる感動

本作は「受け継ぐ感動」が一つのテーマになっています。

敵は手強いですよ。あなた方が相手にしているのは僕じゃない、異端者でもない。ある種の想像力であり好奇心であり逸脱で他者で外部で………畢竟、それは知性だ。

『チ。』(1)

作品の冒頭で掲げられる問。

「一体何を捧げれば、この世の全てを知れる?」

現代的な感覚でこの問いに答えてみるとしたら、そもそも何を捧げたとしても全てを知ることはできない。

その上で、「それでも知りたい!」という思いに駆り立てられていくのが本作の主人公たちであり、その原動力は知性です。異端審問官による暴力でも、打ち負かすことはできません。

多分 感動は寿命の長さより大切なものだと思う。―だからこの場は、僕の命にかえてでも、この感動を生き残らす。

『チ。』(1)

異端審問官に捕らえられた異端者ラファウの覚悟。自身の命と「地動説」の美しさを平然と天秤にかけます。そして、後代に感動を残し知性を進める。それが、ただ生きているだけよりも優先されています。

余談ですが、『チ。』は本当にセリフがかっこいい。セリフによって印象に残るシーンがたくさんあります。

緊迫感のある対話の中で動揺する異端審問官であるノヴァクと、淡々と語るラファウの様子はとても印象的です。

倫理を備えた知性を希望する

フィクションだからこそ「英雄的」なラファウの行動ですが、人命よりも科学を優先するのは危険を伴います。

作中でも、科学の行き着く先には兵器・戦争の恐怖や、真理のためには他人を犠牲にしても厭わない態度への異常さにも言及されています。

それでも、「迷いつつも進む」と。異端者たちは、倫理を備えた知性に希望を持って死地へと赴きます。

次に来るのは大量死の時代かもしれない。でも、その死の責任は神じゃなくて人が引き受ける。だからそこにはきっと〝罪〟と〝救い〟じゃなく…〝反省〟と〝自立〟がある。そうやって苦しみを味わった知性は、いずれ十分迷うことのできる知性になる。暴走した文明に歯止めをかけて、異常な技術も乗りこなせる知性になる。

『チ。』(8)

死んだらそこで終わってしまうというわけではなく、歴史の中で見れば少しずつでも良い方向へと進んでいると信じる。彼らの知性への希望は、宗教よりも純粋な信仰のように感じます。それでも彼らは「異端者」として追われてしまいます。

対照的なチ、「何を捧げればいいのか?」

すでに非道徳的なことであふれかえってしまっている世界。都市でも、一歩裏路地へ入れば貧民たちが物乞いをしています。そのような世界であって少しでも良い方法へ向かうための力とは何か。

一方で、異端審問官は言います。異端は手段を選ばず、悪魔と結託してこの世界を変えようとする。この世界を保持するために必要なものは何か。

ここで奇しくも、地動説側の純粋さと宗教側の非道徳さが鮮烈に示されることになります。

異端審問官の「凶刃」に倒れていく地動説派の人々。彼らが、最後に眺める風景が印象的に描かれています。それは「月が出て、月が沈み、朝日が差し込み、日が昇る」という、まさに地球の運動と、彼らの死の対比です。

死という固定的な出来事にもかかわらず、宇宙的な大きな視点からは、彼らは淡々と「動いて」います。太陽から見れば、地球自体が動いていますから。

それは、次の世代に感動を託し知性を前進させるという「歴史」の流れの一部となったということを表わしているようです。

コペルニクスが天動説を捨てて地動説を唱えたことから、物事の見方が変わることを「コペルニクス的転回」といいます。この比喩がそもそも地動説由来のものですが、異端者の生き方自体もコペルニクス的転回を経験するものになりました。

合理的で快適な生き方であったり、名声や名を残すことであったり、生産性の向上とお金であったりと、彼らは「生きる意味」を追い求める存在でした。

しかし地動説を信じた彼らは人生の意味を乗り越えていきます。自己の存在を超えて、何か大きな目的や感情、価値を次の世代や他者に託す選択をします。

地動説を通して、人生の中で、そして、歴史から、自らの意味を問われ、自ら解いたのです。

非道徳的な宗教から、純粋な祈りの異端者という転回。

意味の有る無しに拘泥することから、自身が意味になるという転回。

「何を捧げればいいのか?」という問いは、「捧げたからこそ意味がある」という答えに。

おわり

知性を信じて、感動を後代に託していくドラマ。それを通して、コペルニクス的転回という、宇宙的スケールの人生論が描かれた作品です!

すさまじい作品です。

皆さんもこの緊迫感ある物語をぜひ楽しんでください。

それでは今回はここまで。最後までありがとうございました!

書誌情報

魚豊『チ。-地球の運動について-』小学館、ビッグコミックスピリッツ

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