面白いとは独断と偏見のこと
「面白いこと」についていろいろ考えます。本や漫画、映画・アニメが好きな僕にとって、作品の面白さというのは一概に言うことはできず、今後も折に触れて考えたいテーマのひとつです。
今日はひとつの仮定として「独断と偏見」が面白いという話をしたいと思います。
僕は様々な主義主張の中でも、個人的な独断と偏見から出発したものに強く魅力を感じることがあります。一般的な言説にしても、例えば誤読や誤解からスタートした説明は独特の面白さがある。ある意味で、その人だけの意見といえます。
もちろん、独断と偏見は面白いと感じる一方で、その表現には注意も必要です。独断と偏見に基づいた表現というのは、他人を傷つけたり差別につながったりします。
ただ、物語の中に限れば、それは大きな魅力として活用できます。その最たるものが「悪役」です。作品によっては、悪役が一番好きなキャラとして思い出されることもあるのではないでしょうか。
特にヒーローとヴィランの対立がメインの軸になる物語では、そもそもヴィランは強くかっこよくデザインされているという理由もあります。しかし、記憶に残る悪役はただ「かっこいい」以上に、彼らの独断と偏見に基づく主義主張にこそ魅力を感じるものです。
『僕のヒーローアカデミア』より
悪役として、堀越耕平さんの『僕のヒーローアカデミア』に登場するオール・フォー・ワンを引いてみたいと思います。
ああかわいそうに
何を恐れている?
心のままに動けばいい
でなければ君一人が苦しむだけだ
良心・道徳・倫理
全部誰かが作ったモノだ
世の中を円滑に動かしたい誰かがね
縛られるな
恐れるな
君の中にあるモノが何より大切なんだよ
さァ転孤
君はどうしたい
僕のヒーローアカデミア 25巻「No.237 死柄木弔:オリジン」
僕のヒーローアカデミア 31巻「No.297 タルタロス」
共有された一般的な意見に対する果敢な挑戦は、一方で独善的であり独断と偏見の極致です。
作中では、主人公・緑谷 出久をはじめとしてヒーロー側にもヴィラン側にも新しい世代が台頭していきます。いうならば、オール・フォー・ワンは旧世代から続く禍根ともいうべき存在です。
その中で「これは僕が最高の魔王になるまでの物語だ」という自己中心的な見解と万能感。禍々しくもあり、それが悪役としての最高の魅力になっています。
悪役の爽快さ
ここからは、戸谷洋志さん著『悪いことはなぜ楽しいのか』を参考にして話を進めていきたいと思います。
本著ではマルティン・ハイデガーによる「本来性」と「非本来性」が説明されています。
彼は、人間の存在のあり方を二つの種類に区別しています。一つは「本来性」で、もう一つは「非本来性」です。本来性は、人間が自分自身の可能性に従って、自分を理解している状態であり、非本来性は、自分自身ではない可能性に従って、自分を理解している状態です。要するに、自分らしく生きている状態が本来性で、そうでない状態が非本来性、と考えてもらえれば、大丈夫です。
p81
自分らしく生きる「本来性」と抑圧されている「非本来性」。
人間は同調圧力に支配されてしまうと、世間の一員として取り込まれてしまいます。その時、個人はかけがえのない存在ではなく、誰でもない一人として扱われます。しかも、これは気づかないうちに進行します。自分らしくない「非本来性」という状態は、日常生活を送るうえで意識せずに陥る状態です。
個人的な経験からも、社会生活を営む中で、抑圧され我慢している、個人を犠牲にして集団に尽くしているという側面は確かにあります。
続いて、ハンナ・アーレントについて。
ハイデガーの議論に続いて、アーレントもルールに従うことによって人間は画一的な「一人の人間」になってしまうと述べられます。社会は多様性を失い、誰もが同じように考え、行動し、生きる世界になります。
アーレントは、人間がこの世界に生まれてくるということを、世界に新しい始まりをもたらす出来事として説明しています。「私」とまったく同じように考え、行動し、生きる人間は、この地球上において、ただ一人として存在しません。だからこそ、「私」には、これまでの人々が誰も想像しなかったことを、誰も考えもせず、行動することもなかったことを、新しく始めることができるのです。
p98
同じ人間はただ一人として存在しない。だから私たちは、誰もが想像しなかったことを始めてもいい。
これは勇気を与えてくれる議論です。そして、悪役の魅力にもつながっていきます。
繰り返しになりますが、独断と偏見による言動は注意が必要です。しかし、物語においての悪役は、失った「本来性」に対する回復への挑戦として読み取ることができます。
オール・フォー・ワンの試みも世界に新しい始まりをもたらす挑戦です。彼の試みは失敗するでしょう。ただ、彼の独善的な態度に対して「がんばれ」と思ってしまう一面もあります。それは、現実では社会と個人のバランスをとる日々の中で、悪役が目指す開放が自由で気持ちよく羨ましさがあるからだと思います。
おわり
独断と偏見には面白さがあります。現実には取扱注意の言動でも、物語にとっては魅力的な装置の一つ。個人対集団の軋轢の開放。悪役の果敢さと自由奔放さに、ひきつけられてしまうのでした。
という、僕自身の独断と偏見でした!
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!
書誌情報
堀越耕平『僕のヒーローアカデミア』集英社、ジャンプコミックス
戸谷洋志『悪いことはなぜ楽しいのか』筑摩書房、ちくまプリマー新書、2024年
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