皆さんこんにちは!
直木賞を読むシリーズ。
第171回直木賞(2024年上半期)の候補作を読んでいきたいと思います。今回は麻布競馬場著『令和元年の人生ゲーム』です。
あらすじ
本作は4話の連作短編です。
平成28年、ビジネスコンクールを運営するサークル。いつかは起業したいけど自ら行動できず、今は仲間との喧騒でごまかす若者たち。
平成31年、「圧倒的成長」を標榜していたが働き方改革が進むベンチャー企業。猛烈に働いて評価されるのか、「仕事よりも人生そのものを楽しんでいる私」という見栄を張るのか。
令和4年、入居するために選抜を受けるシェアハウス。「自分は正しい」と信じたい、他人からも「正しい」と思われたい。人生を平均的な形にするために誰かに依存したい。
令和5年、新しい銭湯の在り方を模索する老舗銭湯。時代に追いつくのか、変わらないことに価値があるのか。それを自分自身で決定していかないといけない。
2016年から2023年の約7年。登場人物は、大学生から30歳ぐらいまで。各話、異なった場所を舞台に若者たちの姿を描いています。
全編には主人公とは別に「沼田」が共通して登場しています。
時代に翻弄されつつ、何とか人生のバランスを取ろうとする若者。
一方で、沼田は「犠牲者」としてのいびつさが強調されて描かれています。
右往左往する
20代~30代前半ぐらいの人は、注意してください。いやな気分になります(笑)
本作では、変わる人間と変わらない人間の姿が描かれています。その態度の違いは加害者と被害者という両極端な言葉につながっていきます。
加害者は、不真面目に周囲の声を取り入れ、変わる。それは、自分で自分の人生を生きることはなく責任を他人のせいにする態度として現れる。
被害者は、動けない、決められない、変われない。置き去りにされてしまう。
この加害者と被害者はきれいに二分されるのではなく、同じ人物が時に加害者になり時に被害者になります。
世の中には、誰かを置いて去っていった側と、置いていかれた側があって、多くの場合、僕たちは人生の時々によってその両方を、加害者と被害者を兼ねることになる。
p168
結局のところ、「自分で決められない」から、右往左往する。
彼らは、自分自身で正しいと思えるのではなく、他人から正しいといわれる「正解」を探しています。だから右往左往したり、その場で動けなくなったりします。
こういう気持ちがよくわかる人。
本書はグサグサと刺さってきます。
焦燥感に踊らされる
本作による嫌な気分の正体は焦燥感だと思います。
生き方を決めなくてはいけないという焦燥感。「何者かにならなければいけない」という焦りです。
できるだけいい大学に入って、できるだけいい企業に入る。終身雇用で、年功序列。退職金をもらって老後にのんびり過ごす。
こういう平成までの「人生」が崩れて久しい現代で、ゴールが無くなってしまいました。
自由で気楽です。しかし、結果は自己責任です。
そのなかで、お金と承認を追いかけて、プレッシャーを感じながら右往左往してしまう。
SNS上には、自分でゴールを見つけた(ように見える)人々がたくさんいて焦る。ミニマリストやFIREという人生戦略があり、投資もしたほうがいいらしい。
日々を汲々とすることから降りてしまう憧れもあるが、先の見えない状態で現状から離れてしまうことの不安もある。
沼田の歪さが思い出されます。
無音。そこには、もう声どころか音すら発しない、いやに肌の白い男の顔が浮かんでいた。永遠にそこから動かないと決意したような、爽やかというよりも、意思を失った老人のような、安らかな表情の顔。「余生」という言葉が脳裏に浮かんだ。そう、彼はきっと、早すぎる余生を過ごしているのだ。それが一秒、また一秒と過ゆくのを、ただニコニコと笑いながら眺めているー。
p228
彼のように全く、動けなくなってしまうのか。ゴールなき状態で、「沼田」以外になろうとして狂騒を演じるのか。
理想の姿が見いだせないし、誰も答えを教えてくれない。
なんと、難儀な世界なんでしょう。
おわり
30代の僕にめちゃくちゃ刺さった一冊でした。
ちなみに直木賞候補でこの本を最初に選んだのは、タイトルが楽しそうだったからです。
それが思いのほか、ヘビー級のパンチ力がある作品でした。とても、楽しかったです!
でも、令和が終わったころに本書を読み返してみると、「あの頃はよかった」と感じるのかもしれません。人というのはいつの時代も、答えが欲しいし、昔はよかったと思うものです。
そういう意味で2024年現在を表象する作品としても面白い。
ということで、本日はここまで。お読みいただきありがとうございました!
書誌情報
麻布競馬場『令和元年の人生ゲーム』文藝春秋、2024年、キンドル版
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