『全修。』―ただの異世界転生にあらず。自己の修正を通して初心への回帰が描かれる。

感想

2025年1月に放送された、MAPPA制作のオリジナルTVアニメ『全修。』。

序盤はスローペース。

アニメ好き向けのオマージュが満載されただけのありふれた「異世界転生もの」に感じました。

しかし最後まで視聴するとまったく異なる印象を持つことになります。

終盤に向かうにつれ、いや増していく不穏な空気。

次第に浮かび上がる、ナツ子の「描けない」という問題。

この作品は、「何かを描くこと」そして「描けなくなることの苦しみ」に、真正面から向き合った物語。

同時に、もっと普遍的な、「自分の原点と再生」の物語でもありました。

あらすじ紹介

全修とは、全てを修正するという意味。アニメ制作におけるオールリテイクの意味です。

主人公・広瀬ナツ子は若手の天才アニメーター。初監督作品は社会現象に。期待される次回作はアニメ映画、テーマは「初恋」です。

しかし、初恋など知らないナツ子。なぜなら、ナツ子は青春の全てをイラストに捧げてきたからです。

筆が止まり、絵コンテはいつまでも真っ白なまま。

スランプに陥ってしまいました。

そんな折。

ナツ子は疲労と食中毒で気を失ってしまいます。気付くとそこは映画『滅びゆく物語』の世界でした。このアニメ映画こそ、ナツ子がアニメーターを目指した「原点」。そして、ナツ子は「描いたものを召喚する能力」を得ていました。

この世界で出会ったのが伝説の勇者、ルーク・ブレイブハート。ナツ子は、ルークとともに、押し寄せてくる敵を倒すことに。

それは計らずしも『滅びゆく物語』の「全修」を試みることにつながっていきます。

『全修。』はただの異世界転生ではない

この作品は、ただの異世界転生ではないです。

異世界転生ものは「異世界」に必然性はありません。

多くの場合、転生後の世界は「現実からの逃避」と「都合のいいリセット」のための舞台装置。そのような異世界転生ものは最終的にファンタジー作品とそん色がなくなっていきます。

例えば『無職転生』。

異世界転生というジャンルでは、最もメジャーな作品の一つです。

主人公は不甲斐ない人生を送ったまま転生し、新たな人生を歩むという構造でした。

主人公を通して、現実と異世界は相対化されます。「昔の俺は」の恨み節からはじまり、良くも悪くも転生後の人生を評価していきます。『無職転生』は主人公の成長が描かれる作品なのは確かです。

しかし、これはあくまで内省の補助の役割です。

不可逆的な転生にとって大切なのは、「今どうするのか」。

転生先の世界自体の必然性は小さく、作品としてはファンタジー世界とそこで生き抜くキャラクターの魅力が大きくなっていきます。

一方で『全修。』では、どうなっているのか。

本作の『滅びゆく物語』という舞台は意味を持ち、物語のプロット自体に組み込まれています。異世界自体が、問題になってくるのです。

ナツ子にとってそれは、創作の原点そのものでした。そして『滅びゆく物語』を全修することは、彼女の創作者としての姿勢を問い直すことでもあります。

まさに、自分自身の全修。

終盤に訪れる展開。そこでは、現実世界と『滅びゆく物語』の世界の、二つの世界が一つのテーマに収束していきます。

これが『全修。』の魅力であり、ただの異世界転生ではない理由です。

ナツ子の強さと痛み

夢中になるっていいですね。一心不乱に、一直線に、最短距離で。そういう姿を見ているとこちらも元気になってきます。

主人公のナツ子もそのような存在です。彼女は小学生の時に『滅びゆく物語』を見てから、アニメーションに夢中になっていきました。

イラスト技術の向上を最優先にした青春期。アニメーターになりたいという熱に浮かされ、奇行に走ることもしばしば。

こういう「勢い」は、観ていて楽しく、応援したくなります。

ただ同時に、ナツ子にとっては弊害にもなりました。

念願のアニメ制作会社に就職。

そして監督を務めるまでになったナツ子。

彼女は印象的な言葉をいいます。

「全部一人でやる、そっちの方が早いから」

これは、傲慢さではありません。

今までナツ子は一人で走ってきました。

『滅びゆく物語』の監督の記事を読み、勤勉にイラストの練習をする。

課題を自分一人で見つけて、自分一人で乗り越える。

これまでもナツ子のことを想ってくれる人はいました。

しかし、彼女はその好意に気付かないほどに、アニメーターに向けて走り続けてきました。

「一人でやる」という言葉は、これまでの自信によって出てきた言葉です。

そして、監督という責任者として、作品が評価にさらされる重圧が自然と現れた言葉です。

ナツ子の言動の端々には、この自信と重圧が見え隠れしています。

ナツ子のはしゃいだような、テンションの高さ。

エゴサをして、SNS上の感想を読んでいるときの、押し殺したような無反応さ。

評価の中には、過度にナツ子を神格化するものや、極端に蔑むようなものまであります。

自信と重圧の間で、ナツ子は「自分ならできる」と言い聞かせているのではないか。テンションの高さで不安を感じないようにしているのではないか。

ここまで感じ取ると、ナツ子の姿に胸が痛みます。

前髪の奥にあるもの

アニメ監督として、絵コンテを切るまで髪を切らないという願掛けを行っていたナツ子。その結果前髪が伸びて、表情を隠すまでになりました。

この前髪はナツ子の自己防衛の象徴です。

SNSでエゴサを行い、賛否両極端の感想を確認していく。その時の表情は、伸びきった髪が遮ってしまいます。

結果として、スマホを見つめる「間」がつくられ、逆にナツ子のプレッシャーが強く伝わってきます。

一心不乱に進んで、アニメ映画の監督に抜擢されました。

失敗はできない中で、今まで全力で進んできました。

弱気は見せたくありません。

伸びすぎた前髪はナツ子の本心を覆い隠してしまいます。

一方で、この前髪を越えてナツ子の表情を伺おうとした人がいました。

それが、ルークです。

印象的なのは第2話で描かれるシーン。

ハプニングで、ナツ子はルークを押し倒します。これはアニメの「お約束」シーン。

この際、ナツ子が上になり、前髪は垂れ下がることで、二人は直接見つめ合うことになります。

防壁の内側。

ここで、二人が本音で向き合う「兆し」が垣間見えるのです。

ただしここでは、二人は無反応。

ルークにとっては、ナツ子は得体のしれないもの。

ナツ子にとってのルークはアニメーターの描いた絵です。

ナツ子にとっては推しであったルーク。しかし、ナツ子はアニメ制作会社に就職し、監督として「評価される立場」になっています。アニメに対して純粋にあこがれを抱いていた頃とは違っていました。

この「兆し」の先に、二人の関係はどうなるのか?

この二人の関係がどうなるかは、しっかりと描かれていくことになりますので、実際にお楽しみください。

あまりに真面目で不器用でまっすぐで、年甲斐もなく、なんだか照れ臭い。でもアニメでくらい、こんなのを眺めるのもいいものですよ。

終わりに

ナツ子の「描けない」は普遍性があります。アニメーターに限らず、ライター、学生、サラリーマン…創作に限らず「できていたことができなくなる」ことは誰にでも起こる。

足踏みしてしまっている人に、送りたい『全修。』。この作品は「初心」と「自己の修正」の物語です。

描かれるキャラクターは恥ずかしいくらい真っ直ぐな存在です。ルークとの関りで、ナツ子は変化していきました。そのルークの純粋さとナツ子の痛ましさは、きつくもあり、それが醍醐味でもあります。

製作陣の「これが描きたい」という気持ちがビシバシと伝わってくる素晴らしい作品でした。おすすめです!

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